あらすじ
若い女性の奇矯な振る舞いに家族が困惑し、彼女の次第にエロティックになっていく行動を止めようと必死になる。…
ネタバレ・あらすじ
はじめに【愛の記念にについて】 日本公開当時、日本のマスコミは「フランスの新星現る!
」と主演のサンドリーヌ・ボネール(当時14歳)を大絶賛しました。
「ラ・ブーム」(フランス公開1980年、日本公開1982年)のソフィー・マルソーのように、大きい瞳を持つ童顔で生き生きと健康的かつ清楚な感じの女の子が日本ではウケていました。
この意味深なオープニングで「ああちゃんと集中してみないといけない映画なのだな」と観客は悟り思わず座る姿勢を正して腕を組んでしまいます(笑)。
彼の大人な雰囲気とキュートな顔、英語という外国語での会話、そして月夜の明かりとお酒の酔いのせいで、シュザンヌは彼と共に一夜を過ごしてしまいます。
君にもう夢中だ、愛している」と言わず、「Thanks a lot」どうもありがとう、とニコリされたときに、シュザンヌは顔をひきつらせます。
そこで親友だったはずの友達は、実は密かに想いを寄せていたシュザンヌのボーイフレンドに「あんたのカノジョは米兵と寝たのよ」と告げ口をしてしまいます。
自分に正直に生きる父親・・・思ったことを何でもポンポン口に出ししたいように生きる父親・・・シュザンヌはそんな父親とじっくり腹を割って会話したことがきっかけで今までの罪悪感や後悔の念から解放されていきます。
兄の友達と駆け落ちをすべく空港に向かい、自由奔放な父親だけが見送る中、シュザンヌは青い空の向こうへ飛び立っていきます。
感想・考察【賛否が真二つに分かれる映画】 フィクションの世界のことにも「道徳」で判断する人にはこの映画は非常に不愉快な代物でしかないはずです。
またアメリカ映画に慣れている人・・・話のテンポが速くて分かりやすい映像と台詞でストーリーや登場人物の気持ちと感情を教えてくれる商業的な映画を好む人にも「愛の記念に」はイライラしてしまうかもしれません。
とはいうものの決して万人受けする映画ではないので、いくら思春期の真っただ中であっても家族や恋人と課題を抱え、進路の不安を持っていようともシュザンヌのやることなすことにイライラしたり、まったく理解に苦しむ十代も大勢いるはず。
曖昧さや不安定さを詩を読むのが好きだとか岡崎京子の漫画のファンという少女たちにぜは受け入れられるのではないでしょうか。
ちなみに「愛の記念に」公開当時は「将来の大スター登場」というような、サンドリーヌ・ボネール大絶賛の批評ばかりでした。
確かに彼女の演技は天才的でシュザンヌ役はまさにはまり役であり、ボネールが演じたからこそ、ヒロインがとても雰囲気のある寂しげな少女に見えました。
確かに非常にインパクトがある少女でした。
それまでは割と「可愛い可愛い」タイプの少女歌手や女優が主流だったように思います。
ところがボネールはまったくそういうタイプではありませんでした。
笑うとえくぼができて可愛いのだけども鼻は曲がっているように見えます。
決してお尻と胸が大きいわけでもないのに妙に色気はあります。
美少女でも可憐な感じがする少女でもないものの、非常にコケティッシュな個性的な雰囲気をまとっていました。
そんな14歳のボネールは、不良娘にもお嬢様にも平凡な娘にも到底見えません。
彼女のミステリアスなアンバランスさがまさに「愛の記念に」の主役にぴったりでした。
あらすじ1【意味ありげな航海シーン】 出だしは南仏の海を船が航海している場面から始まります。
処女を意味しているのか、白いワンピースを身に付けたシュザンヌ(ボネール)がマントに立っています。
海風で裾がめくれ、すらりとした綺麗な形の白い脚がとてもよく目につきます。
背後では兄が妹の美しい姿を満足そうにみつめ、兄の男友達の視線は少女のセクシーな脚に釘付け。
シュザンヌは彼らが自分を見ていることを分かっているのだけども、無言で前方の海を見つめています。
BGMは「Cold Song」(クラウス・ノミの歌が有名ですが、スティングもカバーしています)。
あらすじ2【恋人は同世代の少年】 シュザンヌは南仏に住む女の子。
キャピキャピした陽気さはまったくなく、むしろ無愛想でこましゃくれています。
シュザンヌは何かにくすぶっていました。
思春期の入口に立つ年頃のせいかもしれません。
同世代のボーイフレンドを持っており、草むらに隠れては二人でいちゃいちゃするのが日常的。
ボーイフレンドはただ抱き合ってキスをしあい、身体を触り合うだけでは満足できません。
もう一歩深い関係になったくてむらむらしています。
だけどもシュザンヌは少年と初体験を迎える気にはなれません。
道徳心から、というよりも自分と同じ年ぐらいの少年がどうしてもどこか幼く見えてしまい、何かが物足りないのです。
大事な初体験をこの坊やと済ませるのはどうだろうなあ、と思い、いつだってギリギリのところでストップをかけます。
一方で背伸びもしたい、大人っぽい恰好もしたい。
身に付けるのはいつだって挑発的なミニスカートに肩を出したトップス。
長い髪の毛もボーイフレンドに会うときやバーに行くときには絶対垂らしておきます。
家の中にいる時のようにポニーテールにはしません。
あらすじ3【年上の米兵青年との出会い】 ある夜、女友達とバーに繰り出していたシュザンヌは年上の米兵と出会います。
そのアメリカ人は大人っぽい服装をしていた彼女をまさかたった14歳とは思わなかったのでしょう。
片言のフランス語と英語で口説きだします。
シュザンヌは年上の女に見られ崇拝されるレディとして扱われたことにまんざらではなく、むしろ有頂天。
お酒も入っていることもあり気持ちだけはすっかり一人前の「いい女」。
しかし実際はまだただの14歳。
「ネンネ」ちゃんです。
米兵が肉体的関係を持ちたいがためだけに自分に恋をしている言動をしていたとは、まったく分かっていません。
後悔はなかったのですが、事が済んだ後に米兵が「最高だったよ。
幸せだ。
別れる時にも米兵は二人の今後の関係について一切何も言いません。
「ああこれはたった一回きりの関係だったのだ」シュザンヌは分かりなんともいえない自己嫌悪に陥ります。
しかし強がって女友達には一切泣きつきません。
だから女友達には彼女がビッチにしか見えませんでした。
女友達の世界の無言のルールを破ったわけですが、友だちにすれば「いい気味だわ」。
そしてシュザンヌの目の前で彼女の元カレといちゃつくようになります。
少年はシュザンヌを忘れていないし、一番愛しているのは彼女。
だけども(恐らく)まだ童貞の少年にはGFの不貞を許すことは到底できません。
それを分かっているからシュザンヌも罪悪感や後悔をしても、少年に「許して、よりを戻したい」と懇願することはできません。
のちに少年が歩み寄ってきますが、恋愛というのはタイミングが大事。
結局二人の気持ちが同時に重なり合うことは二度とありません。
あらすじ4【家庭でもトラブル】 ついていないことが次々に起きる最中、最愛の父親が家出をしてしまいます。
唯一自分の理解者であり、自分が尊敬し崇拝していた父親が突然いなくなってしまったのです。
家の中の雰囲気は険悪になります。
母親はヒステリックになり娘のシュザンヌに辛くあたるようになります。
兄は妹を庇わず、むしろ母親と一緒になってシュザンヌに罵声を浴びせます。
尾崎豊は「15の夜」で「盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま」と歌いました。
14歳のシュザンヌも家を飛び出すのではないかという展開を予想するのがまあ一般的でしょう。
しかし彼女は意外にも根は憶病で繊細でまじめなのか、家出はせず代わりに寮に戻ります。
結末【そして旅立ち】 時間が経ち、シュザンヌはある男性と婚約をします。
安らぎと平穏な気持ちを与えてくれる男性です。
そんな最中、突然父親が舞い戻ります。
むろん母親とは大口論になります。
息子(シュザンヌの兄)から見れば悪者は父親だから、やはり身勝手な父親を許せません。
しかし娘から見れば正しいのは父親であり、父親と再会できたことが純粋に嬉しくてたまりません。
異性側の親に子どもは味方につくものだ、とよく言いますがこの映画の家族関係もまさにそのとおり。
頭で「ああしたほうがいい」「この選択がベストなんだ」と考慮することもやめ、欲望と本能のままに生きていくことを決意。
結局男に寄りかかっている甘ったれた小娘のわがままストーリーに見えてしまうからです。
アンニュイで美しい映像が続き、詩的な台詞や哲学的台詞が多数のからです。
この映画はまさにフランス映画通向けであり、かつシュザンヌと同じ年頃の女の子が共鳴できるであろう作品です。
なぜならばどこか抽象的で年頃の女の子の危うさと弱さと矛盾が見事に表現されている映画だからです。
確かな答えを求めず、しかし何となく何かを共感したい、考えてみたいという十代にはおすすめです。
平凡な少女が演じたであるならば、ヒロインはただのお馬鹿さんや身勝手な少女にしか見えなかったのではないでしょうか。
そして現在でも第一線で活躍するボネール。
実力のある息の長い大女優になっています。